2010暮れー2011/03/10雑記

【2012/03追記】

2010年の年末・三が日限定で書いたひとりごとの頁が、正月終わっても続いていた。最初のページが「その1:2010/12/24〜2011/01/22」。今読むと、ほとんど後半は(今もやっている)書籍のPDF化メモである。

2010年12月24日から2011年3月9日までつづいて、3.11で中断。5月になって思い直して再度書き始めたのだが、やはり続かなくなって終わったのであった。

20110511:二つ月目の夜に

3.11から2ヶ月がたち、3月上旬まで書いていた「雑記」も、今起きている事態を「学び」、その意味を考える作業にかまけて中断していた。

上のリンク(*1)にあるように3.11以前から書籍の「自炊メモ」になってしまっていたのだが(笑)、この2月自炊作業をストップしていたわけではない。

おかげさまで?、5月始めで、手持ちの書籍2500冊程度の自炊が終わった。scansnapを購入してから約10ヶ月、月平均250冊の裁断/自炊ということになる。

手元に残った書籍は処分(廃棄、譲渡)するものを除けば、思ったより少なくて、2000冊もない。

これを機会に、雑誌、CD、レコード、comicsなども大量に処分したし、入れていた本棚も捨てた。どんどん身軽になるのが気持ちがいい。

ただし、それらは日本語の本に限った場合で、今後は洋書の自炊作業に移る。ざっと数えたところ2300冊ぐらいあるが、これらは夏休みにまとめてやろうかと思っている。

今はそれらに時間をとられるよりも、<考える>時期だと思っている。というわけで、このメモ・ページは本来の意味の「雑記」に戻る。

20110512:新しいステージへ

原発事故の話題から「雑記」を再開するのは気分が重いのだが、それを避けて、何かを考え/書けるわけでもない。

本雑記をお読みの方は、ぼくのポップカルチャー酔いどれ話を否応なく聞いていた人がおおいわけだけど(*2)、その人たちには、今までの私の「現在」理解が、下のような2つの時期区分のもとで行われていたことは、わかっていただけるとおもう。

  • 日本人は「戦後」という時空間の中でながいあいだ生きてきた。
  • しかし特に1990年代後半以降、そういう<戦後空間>自体が壊れていくという経験をしてきた。

21世紀のわたしたちは、この戦後空間の崩壊という時代の意味をとらえかねて、悪戦苦闘していたと言っていい。

「戦後」の枠組みで社会を生きる人と、あたらしい「戦後の後」の感覚で社会を生きる人の間にあるズレが、時を経つに従って顕在化したのである。

どちらの立場にあるにしても、人々はその悪戦苦闘のありさまを、社会の混迷として、ネガティブイメージで語ってきた。

ところが、そのような「混迷」理由の把握、そこからの脱出の方法を模索している最中に、わたしたちは3.11を経験することになった。3.11は、そのような「混迷」社会の更なる変質を促すような打撃であったことは間違いは無い。

2011年度以降の各講義では、昨年度まで語ってきた上の2つの時代区分に加えて、「3.11後」という時代を設定することを余儀なくされるだろう。

とはいえ、まだ事件は進行中である。始まったばかりだと言って良い。歴史のある時点にたって3.11の意味を振り返るほどの余裕はない。今の状況を把握するところから始めよう。

20110512:「マス・メディア・リテラシー」

3.11以来、大手新聞社/雑誌系のWEBに掲載されている<とんでも記事>ってのを、時々Evernoteでファイルしてきた。

ここでいう<とんでも記事>というのは、読んだとたん、椅子から転げ落ちる(ずっこー)ような「非科学的」「非論理的」な記事のことである。わたしは自然科学にとても疎いけれど、専門教育を受けているかどうかとか以前の<とんでも>については、少しは見分けがつくつもりである。

その中で、私が一番「気に入った」のは、MSNの産経ニュース4/28付けの1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし」 東京の放射性物質降下量である。

そもそも今回の事故にかかわって東京に「降った」放射性物質がどの程度なのかについては、時間の経過とともに「当初発表」よりも深刻な数値が今後後だしじゃんけん風に発表されていくと思うのだが、それはここでは置く。

この記事の「面白さ」は同記事横に掲載されている「グラフ」である。

拡大画像を見てもらえばよくわかるのだが、要するに60年代の核実験と同じ程度だから心配なし、という記事を補強するために掲載されていると考えていい。

普段、等倍目盛りを見慣れてる一般人から言えば、<あ、ちょっと多いけど、そんな程度なのね>という印象を与えるのだが、左のメモリを見ればおわかりなように、このグラフは対数グラフである。対数グラフの目盛りは見た目は等間隔で、それぞれの目盛りの数値単位は10倍づつ増えていくものなので、福島第一のピーク点がダントツなことがわかる。

グラフの下の出典は「気象研究所観測データ」ということになっているが、元データをネット上で見つけることは出来なかったが、気象研究所サイトの研究報告「環境における人工放射能の研究2009」について第一章「人工放射性降下物(死の灰のゆくえ)」に同様のグラフが掲載されている(*3)

元グラフも対数表示で、それにこの3月の東京のデータをくっつけて出来上がりというのが産経のグラフっぽい。

記事を読むと、このグラフを活用してなにか解説があるわけでもない。記事内容は、ともかく東京の今回の放射能降下量は<心配ない>という主張に終始している。

グラフを少し注意してみれば、その記事の主張を疑わせるデータにもなるのだが、眼の錯覚を十分に(笑)活用して記事主張を下支えするような効果をあげているというわけである。

20110523:「カナダ」と「メディアリテラシ」

久しぶりの更新。

前の記事で、常用対数グラフを使った「目くらまし」の話をした。算数やグラフの見方が知らないと、目くらまされることがある、ということを主張したかったわけではない。むしろ、メディアにはバイアスがあって、流れてくる情報は常にどこか一面的であるという風に<ひねくれた>見方を日常的にしているかどうか、それにかかっている。

ひねくれた、と書いたが、実は真っ当な立場である。

ものの見方にバイアスがかかるのは、日常生活をみわたせば、いくらでもある。メディアに限ったことではない。ただし、メディアは一見「中立」を装うのを常で、その分、「事実」を語っていると思われがちである。

メディアは「ポジショントーク」をするし、メディアを利用出来る立場にある各種権力/権力者はメディアを使って「スピンコントロール」を効かそうとする。

そのようなところから出てくる情報を精査して、そのバイアスをなるべく外し、そこから「事実」をどれだけ取り出せるのか。

このような抽出・フィルター能力のことを「メディアリテラシー」と呼び、そのカタカナ語は、ここ10年の間に日本語化した。

(以下、記述中断中)

2012年3月付記:

ここで、この一連の「雑記ぺーじ」の記述は途切れている。

いろんな意味で書けなくなったようだ。







*1: 2012/03追記:当時はページの冒頭に月毎の雑記のリンクを張っていた。

*2: 2012/03付記:このサイトで2012/03から公開している一連の2010暮れー2011/03/10雑記配下のページは、かつてある特定の人達向けの未公開のWEBサイトのそのまた辺境の思いつき雑記ページだったのです。

*3: 文献注によればHirose, K., Y. Igarashi, M. Aoyama, Analysis of the 50-year records of the atmospheric deposition of long-lived radionuclides in Japan. Applied Radiation and Isotopes, 66, 1675-1678, 2008というのが、そのグラフの引用元のように思われる。

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